< Epilogue >

妊娠するまでも長い道のりだった。
でも世の中にはもっともっと頑張って妊娠された方、妊娠しようと頑張ってらっしゃる方がいる。
ゆかを妊娠できたこと、それだけでほんと当たり前のことじゃなく、奇跡的なこと。

妊娠してからも、なかなかすんなりとはいかなかった。
でも世の中にはもっともっと辛い思いをして妊娠中を過される方がいる。
痛みも出血もなく妊娠中幸せに過せたこともまた奇跡的なこと。

母が言ってた。
「安定期にはいってからこんなことがあるなんて・・・」
妊娠初期はみんな流産しないように・・・というけれど、
安定期と呼ばれる時期に入ると途端に何をしても大丈夫みたいな感覚になる。
旦那さんが妊娠した当初から言ってた言葉を思い出す。
「まだ何があるか分からんぞ・・・」
産まれてきて当たり前。
元気に産まれてくるもんだ、と思い込んでいた。
私自身も周りの人も。

妊娠が順調で子供が無事に生まれても、その後も何があるかは分からない。
そういうことって、何かあった人じゃないと分からない。

私と同じような経験をされた人の話を、実は以前に聞いていた。
職場の後輩の友達が、妊娠21週で死産を経験し、お葬式、火葬をして・・・
既に妊娠していた私は、「そんなこともあるんだ・・・かわいそうに・・・」鳥肌が立つ思いではあったが、
はっきり言って人事としか思っていなかった。
私がまさか同じような経験をするかも・・・そこまでは全く思わなかった。
そのとき私が後輩に掛けた言葉・・・
「赤ちゃんに何か欠陥があったのかもしれない。赤ちゃんがママを守ってくれたのかもしれないし。」
そんなことを言った気がする。
今、周りの人たちに言われて傷つく言葉。
私って最悪だ・・・
直接その経験をされた方に言ったわけではないけれど、そんなふうにしか考えられなかった自分が嫌だ。
今の周りの人と同じことしか言えてない。
いろんな人にいろんな言葉を掛けられる。
「また次の子を作ればいい。」
「子供ができればそんなこと忘れる。」
酷い!と思って泣けてくることもある。
でも以前の私と同じで経験しなきゃ、その悲しみや苦しみ、痛みは分からない。
どんな言葉で傷つくのかなんて分からない。
誰と話しても傷つくばっかりで、癒されないそう思っていた。
でも私も経験するまではそんなことを言っていたのだ。

ゆかが天使になってまだ2ヶ月・・・
遺骨の前で泣いて寝る事もある。そのまま朝まで眠れないこともある。
彼女がいないことが悲しい、それだけではない気がする。
ネットで、「死産」と検索してみた。
同じような経験している人が沢山いた。
赤ちゃんを亡くしたものでしか分からない気持ちが、
赤ちゃんを亡くしたからこそ分かる気持ちがいっぱいだった。
私と同じ気持ちでいる人に、同じ経験をされた方が励ましのメッセージを送ってらしゃる。
それはあたかも自分に送られた励ましのように感じ気が楽になる。
何年も前に赤ちゃんを天使にされた方のHPでは、その後お子さんが生まれてもなお、
天使になった赤ちゃんを思い、その気持ちに戸惑ったり悩んだりして見えた。
「もう2ヶ月も経ったのに・・・」そう言われ、自分でもそう思っていた。
でも、何年経っても娘のことを考えてていいんだ・・・そう思った。
また気が楽になった。
死産を経験された方の日記には
天使にになったお子さんに向けての言葉、職場や、ご主人との事、日常の事・・・
そこに記されていることが、同じ経験をされてから頑張ってらっしゃる証で、
元気をもらうことができた。

もともと持っているHPで気持ちを書いていた。
でも、そこはゆかのことを書く場所ではない気がした。
ネット友達はみんな励ましてくれる。
応援してくれる。
その気持ちはとても嬉しくて、優しくて、涙が出た。
でも、以前の私と一緒なのだ。
「ゆかのことを、ゆかへの気持ちを心置きなく出せる場所を作ろう」そう思った。
そして、もし私が同じ経験をされた方々からもらったパワーを、誰かに分けてあげることができたら・・・
そう思った。
このHPを作ることで、ゆかのことを考える穏やかな時間が、ゆかと私だけの時間が持てる。
それは今の私にとって現実に戻らなくては・・・という強いプレッシャーに負けないためにも必要なものだった。

見えない彼女のために・・・
見えない誰かのために・・・
思うままに、少しづつ・・・

娘を亡くしてもなお、生きていかなければならないから。


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