< Fateful Day >

安静入院6日目。

8月29日、午前中。
退屈な病院生活にも慣れてきて看護婦さんや先生だけでなく、病室にもお友達ができて和気藹々。
定時のバイタルチェックでも血圧がちょっとだけ高めだけど赤ちゃんの心音も元気!
問題なし。

午後。
シャワーを浴びたり、病室の人とお話したり・・・
31日に帝王切開で出産が決まってる方がエコーをしてもらいに行った。
同じDr.の担当だったかよも来週エコーする予定だったけどついでに見てもらえることに。
もう性別が分かると思うからワクワクしながら診察室へ。
絶対女の子のような気がする!と、看護婦さんと話しながら診察台へ。
赤ちゃんの大きさをチェックしたりしながら、ここでも和気藹々・・・

・・・?

先生が同じところを何度も見てる。
かよは職場でエコーを毎週してもらっていて、エコーもよく読めるようになっていた。

心臓だ・・・
動いて・・・ない?!

・・・。

今までの雰囲気が一変して、Dr.や看護婦さんがどたばたしだしました。
もう一人Dr.が来て、その後「ご主人を呼びましょう・・・」とDr.がいった・・・
先生が出て行ってから、突然どうしていいか判らなくなり、看護婦さんに抱きついて泣いた。
「どうしよう・・・」看護婦さんも泣いていた。二人で声を上げて泣いた・・・

部屋に戻ったら妹とのっぴーが面会に来てくれていた。
顔を見たら泣けた。
「赤ちゃん心臓とまっちゃった・・・」

かよ自身はお腹の痛みも出血もなく、ほんとに赤ちゃんが死んでしまったのか?というのがわかんない。
朝はお腹をポコポコ蹴ってたじゃない?
心臓の音も元気よく聞こえてたじゃない?
かよは赤ちゃんが天国に行っちゃう瞬間を感じてあげることもできなかった…
いつ動かなくなっちゃったの?
一人で天国へ行くの寂しかったよね・・・

そうこうする間に師長さんが見えて、部屋を大部屋から個室に代わることになった。

旦那さんが来るまでドキドキしてた。
母も来た。
長かった・・・

旦那さんが到着した。
抱きついて泣いた。
「ごめんね」って言葉しか出なかった。
「誤らなくていい。お前が悪いわけじゃない。しかたなかったんだよ・・・」そう言った旦那さんも震えてた。

診察室に呼ばれた。旦那さんと母と3人で部屋へ。
先生が説明してる。
やっぱり動いてない・・・
悲しくなった。
また大泣きした。
「お母さんのせいではないですよ。赤ちゃんの方に何か原因があったのかもしれない」
先生は何度もそう言った。
言われれば言われるほど、かよのせいだと思った。

今後の計画を先生が説明された。
お腹を切って・・・というのではなく、普通に陣痛を起こして自然に分娩をするとのこと。
お腹を切る=帝王切開と一緒。
次の妊娠まで1年は間を措かなくてはならないことを考えたえらかよにとってはいい事なのかもしれないが、12月に経験すると思っていた陣痛を今から・・・怖さ、不安がよぎる。
その日のうちにまだ硬く閉じている子宮口を開く処置を開始。
少しづつ少しづつ赤ちゃんが下に下りてくると自然にのびてひらいてくる子宮口ではあるが、赤ちゃんに力がないので器具を使って無理やり「こじ開ける」。
31日に陣痛促進剤を使って陣痛を誘発し自然分娩・・・
本来、赤ちゃんとママと2人で息を合わせて出産をする。
赤ちゃんがこうなった以上かよ1人で・・・不安どころか自信がない・・・
しかも、赤ちゃんは逆子になってた・・・
自然にとは言っても難しいかもしれない。
「その時は、母体を優先します」と先生が言った。

!!!
赤ちゃんが出てこなかったら母体を優先?

かよのお腹の中で赤ちゃんは星になった。
まだかよのお腹の中にいる。
ずっと閉まっておきたいような、早く出してあげたいような微妙な気持ちではあった。
先生が母体を優先すると言ったとき、赤ちゃんをお腹から早く出してあげたい・・・しかも無傷で!強くそう思った。
これが「母親の気持ちなんだな」と感じた。
生きた娘を抱いてやることはできなくても、確実にかよはこの子のママなんだから。

部屋に戻ってずっと泣いてた。
何もかもに申し訳なかった。
旦那さんにも身内にも友達にも職場の人にも・・・
泣くしかなかった。
旦那さんはずっとそばにいてくれた。

当然ご飯は全く食べられなかった。

夜、処置室に呼ばれた。
早速その処置が始まるらしい。

!!!!!

ものすごく痛い治療が続いた・・・
あまりに痛がるから麻酔をされた。
でもその麻酔が痛い。
しかも麻酔をしたところで全く効いてないかのような激痛。
結局何をしても痛いのだ。
赤ちゃんを早く出してあげたい、その一身で我慢した。
でも痛すぎて泣き叫んだ。

部屋に戻って旦那さんに抱きついて泣いた。
こんな処置が後何回続くのか・・・
考えるだけで怖くなった。

夜は睡眠導入剤を渡された。
それでも夜中に目が覚めて眠れなくなった。
ずっと泣いて朝が来た。

30日。
何度か激痛を伴う処置をする。
赤ちゃんの頭の径分は開くようにしておかないと、いざ陣痛を起こしたときにかよが苦しむことになる。後で考えればDr.も泣き叫ぶ患者を前に心を鬼にして処置していたのだろう。

もうへとへとだった。
何もかもどうでもいいんじゃないか?と思えてきた。
何でこんな痛いことするんだっけ?
頭がおかしくなってきた。

明日はいよいよ陣痛・出産かと思うとこれまた痛みとの格闘なわけで、自分のスイッチを切りたい感じだった。

相変わらず薬を飲んで寝かされるが夜中に起きて眠れない、ご飯も食べられない。

31日。
朝から処置室へ。
陣痛を起こす薬を使う。
3時間毎に薬を追加する。

1時間後からだんだん痛くなり、その後はもうひたすら間隔の短くなる痛みとの格闘。
薬を追加するも、既にこんなに痛いのに・・・という感じで、ひたすら旦那さんの腕をつかんで痛みに耐えた。

数時間後部屋で破水。

その後分娩室へ。

そこからは過呼吸になってしまったりしたが、赤ちゃんも無傷で出産。
赤ちゃんにでてこようとする力がないから、もっと時間がかかるとDr.も看護婦さんも思っていたようだ。
無事に産めてホッとした。
星になって2日、漸くだしてあげられた。
今日がお誕生日・・・かな。

赤ちゃんに会った。旦那さんと一緒に。
まだちっちゃいけれどかわゆい女の子だった。
不思議と涙は出なかった。
嬉しかった。無傷で産んであげられたことが。
彼女はちっちゃな白い箱に入れられてた。
ほんと眠っているようだった。

名前を決めた
「ゆか」と名付けた。

ゆかちゃんを見たらなんだか元気が出た気がした。
しくしく泣いていても始まらない。
頑張らねば!とその時は思った。

旦那さんはそれから葬儀・火葬の準備に出かけた。
代わる代わる誰かがいてくれたけど、ふと1人になったとき、涙がぽろぽろ出た。
それからは誰が来てもダメだった。

夜はもっと悲惨だった。
出産前の処置の痛みや恐怖、不安が一気に押し寄せ、しかも25週間かよのお腹の中でしか生きられなかったゆかちゃんを思うと・・・

夜はずっと旦那さんが泊まってくれていた。
かよが起きて泣き出せば旦那さんは起きて隣で手を握っていてくれた。

9月1日
朝1番で旦那さんは準備に出て行った。
かよはゆかちゃんに手紙を書いた。

「ごめんね。ありがとう。」

母の買ってくれたベビードレス。
彼女がちっちゃいのでちょっと大きかった。
ふりふりの帽子の中に体をうずめ、お花やおもちゃも一緒に箱の中に入ってお部屋にゆかちゃんがやってきた。
胸にかよとのっぴーのお手紙をのせて。
ちっちゃなかわいいブーケと一緒に、旦那さんが彼女を連れて行った。
かよは火葬には立ち会えない。
ここでお別れ。
でも泣かずにお別れできた。

無事に火葬も終わり実家の父の傍らに。
みんなに、「火葬しても何も残らないよ。」と言われていた。
25週の胎児。骨も柔らかいんだろう・・・
でもゆかちゃんは結構しっかりとしていて残っていた。
ママはいっぱいカルシュームをとっていたものね。

ちっちゃな子供とはいえ普通に分娩したのだけど、妊婦や乳児が往来する病院なのでDr.の配慮により自宅で1週間は安静にしてれば退院してもいいと言われた。
退院するとき、先生も辛そうだった。
「またこの病院で・・・今度こそ元気な赤ちゃんを産みにきます。」
そう看護婦さんと約束して、かよは退院を後にした。
看護婦さんもいっぱい泣かしてしまったな・・・


入院して10日。
こんなことになるとは想像してなかった。

でも入院していたからこそ、午前中まで元気だった子供の異変に午後には気付き、その日のうちに処置を開始し、最短で且つ、無傷で彼女を出してあげられた。
入院していなかったら、腹痛や出血があるまで気付かない。
最悪かよの子宮も、胎児も壊死・壊疽していたかもしれない・・・
こんな運命と決まっていたとするならば、いろんな偶然が重なって「よかった」と思える部分もあるんだなと感じた。

退院してからも、日に何度泣くだろう・・・
誰にも会いたくない、夜が怖い、一人が怖い・・・
ふと気付くと泣いていたりする。
あとは時間が解決するのかな・・・

昨日旦那さんに頼んだ。
「かよが死んで骨になったらゆかちゃんの骨も混ぜてね・・・」
かよから産まれたゆかちゃんだから。

毎週撮ってたエコー写真の山やビデオ。
まだお腹にいるような感覚。
お腹に手がいく癖。
もううつ伏せになってもいいんだな〜・・・
何もかもが泣く材料にはなってしまう。

1日も早く、泣かない毎日を送れるように・・・

彼女から教わったことも沢山あって、人生観や世界観がかなり変化した。
ちっちゃな世界に固執して生きていたなと思う。

一緒に泣いてくれた人がいっぱいいた。
みんなを悲しませてしまった。
人に支えられていきてることを改めて実感した。
これからはもっと人に優しくなれる気がする。


頑張ろう。毎日少しづつ。

ありがとう。                         
旦那さんも、お母さんも、妹も、姪っ子も・・・・
友達も職場の方も・・・
Dr.や看護婦さん、病院の方々も・・・
いっぱいいっぱいありがとう。


ありがとう。
ゆかちゃん。

パパとママはゆかちゃんが宿ってくれてからの25週間、ほんとに毎日幸せでした。
嬉しくて嬉しくて、大事に大事に・・・
ゆかちゃんはどうだっただろう・・・
幸せだったかなぁ・・・
パパとママの声聞こえていたかなぁ・・・

あなたのことは忘れない。
パパとママはいつもあなたと一緒です。
だから寂しくないよ・・・




         無事に産んであげられなくてごめんね・・・


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